2020.11.03 [イベントレポート]
「監督として認められましたよ、という賞をもらえたことが一番嬉しい」11/2(月)Q&A『洗骨』

洗骨

©2020 TIFF

 
11/2(月)日本映画監督協会新人賞受賞作品『洗骨』上映後、照屋年之監督(右)、中村義洋監督(左)をお迎えし、Q&Aが行われました。
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矢田部吉彦 シニア・プログラマー(以下:矢田部SP):これより照屋年之監督、そして中村義洋監督をお迎えしてのトークをお届けして参ります。まずは一言ご挨拶を頂戴できますでしょうか。
 
照屋年之監督(以下:照屋監督):この作品は2018年に公開されました。その後僕は短編映画を2本撮って、その最新作の初お披露目がちょうど昨日に沖縄で行ったばかりでした。僕自身は新しい作品も、過去の作品もまたこうして皆さんに、観ていただき、喜んでもらえるということが昨日今日と続き、非常に嬉しい日になっております。ありがとうございます。
 
矢田部SP:ありがとうございます。そして中村監督、この新人賞にあたっての審査員を務められたということで、まずは最初に一言頂けますでしょうか。
 
中村義洋監督(以下:中村監督):選んで良かったなという作品に巡り会えて、またこうして今日ここで上映ができて大変誇らしい気持ちです。
 
矢田部SP:ありがとうございます。照屋監督、この作品公開時にも非常に高評価を得まして私も劇場に駆けつけて感動した記憶がまざまざと蘇ってくるようなんですけれども、それからしばらく時間をおいて監督協会の新人賞受賞であるとお知りになったときの気持ちをお聞かせいただけますでしょうか。
 
照屋監督:僕自身は2006年から短編映画をほぼ毎年撮り続けてはいたのですけれども、やはり短編なので劇場で上映されることもなく、世間の人に知られることもなく、地味に映画作りというのを続けて参りました。でも今回長編映画を撮れるチャンスを頂いて、全国の映画館で上映されて、大勢に観てもらえることによって、ようやく照屋年之という人間は映画を撮っているんだと知られたこと、それにプラスして、やはり一番嬉しかったのが、日本の監督が所属する監督協会から、あなたは監督として認められましたよ、という賞をもらえたことです。これほど嬉しいことはないので、自分の中ではまだ卵の気持ちでもちろんいますけれども、ようやく監督として認めてもらえたんだという喜びが大きいです。
 
矢田部SP:それでは中村監督にマイクをお渡しして審査の模様などを、あまり喋れないかもしれないですけれども少しお話していただけますでしょうか。
 
中村監督:通常総会が開催されて、その時に照屋監督に来てもらって、賞状を渡したんですけれども、時間が無くてその時はお話しできなかったですよね。大体20本くらい候補があったんですよ。20本あって、審査員5人で選ぶ。僕は今回審査するのは3回目なんですけれども大体半分ずつ分けて、僕が12本くらい観て、それをみんなで持ち寄って2本とか3本くらいに絞ってそこからナンバーワンを決めるというもので。『洗骨』推しが2人、他の映画推しが2人、もう1作品推しが1人の2:2:1で始まって、1時間経過して3:2になり、全員一致にしたいということでそこからもう1時間くらい議論して4:1になって。最終的に2時間くらいかかってその1人が納得して決まりました。オリジナリティの部分でした、最後の1人が納得した箇所は。それって僕なんですけど(笑)。
 
照屋監督:僕、気になっていたんです!最後までごねていた人は誰なんだろうって。中村さんでしたか!
 
中村監督:違うんです、違うんですよ。それなのになぜ僕がここにいるんだという話になりますよね。もう1作、推していた作品との出合った時が凄かったんですよ。その作品で俺は行こうと思っていて。その時は『洗骨』を観ていなかったんですよ、最終審査の直前まで。最終審査の前の日に観て、やばいなというような状況になったんです。色々と話していて最後に引っかかったのはオリジナリティの部分です。やっぱり監督協会の新人賞であったら“オリジナル”でないといけないのかなというところがあって。『洗骨』には、本当に力があるというか、すごい演出力だなと感じたのが一番でした。
 
矢田部SP:今のコメントまでお聞きになって、照屋監督、ご感想は。
 
照屋監督:監督というものは作品に本当に命を懸けますし、脚本づくりから、ロケハン、キャスティング、美術、衣装、カメラも照明も打ち合わせでも、心をすり減らして、疲れて、演出の現場で役者が駄々をこねだして、疲れてとか。色々を経て編集に入って、やっと出来上がって、苦しんで苦しんで産んだ我が子はみんな可愛いから、選んでほしいはずなんですよ。だから迷ったというのも分かりますし、他の20作も素晴らしく命が懸かったものだと思うんですよ。だからこそ、その中で僕が選んでもらったということを聞いて、よりありがたく、今噛みしめております。
 
中村監督:よかったです。
 
矢田部SP:我々映画を創っていない人間が、すごい演出だなということを軽々しく口にしがちなんですけれども、やはり映画監督が、演出がいいと言う発言の重みというのはやはり違う重みがあるなと今感じました。中村さんのご意見でなくてもいいですけれども、その時の会議で出た照屋作品の演出力の確かさ、良さというのをもう少し具体的にどのような部分なのかお聞かせ頂けますでしょうか。
 
中村監督:なるべく演出に絞りたかったんですけど、脚本がいい場合もあるのですね。だけど、照屋さんは脚本も書いてるんですよ。僕との、何というのかな、親和性ではないんですけど、しんみりすべきところにユーモアを、最後に笑いを持ってくるところとか、すごい良かったんですよね。僕が照屋監督に聞きたかったのは、いつからどのくらい映画を観て、どういう監督が好きな人なんだろうなって言うことです。3、4時間飲み屋に行って話し合いたいと思いましたね。
 
矢田部SP:では、せっかくの中村さんからのご質問ですので、いつから映画を観ているのかと、好きな監督を少し挙げていただいてもよろしいでしょうか。
 
照屋監督:映画オタクほど、僕は実は映画に詳しくなくてですね。
 
中村監督:日藝(日本大学芸術学部)なんでしょ?
 
照屋監督:はい。
 
中村監督:映画学科なんでしょ?
 
照屋監督:はい。演技コースですけど(笑)
 
中村監督:あ、そうなんですか(笑)
 
照屋監督:僕は元々は役者を目指していたので、監督の方ではなかったんですよね。僕自身は普通に80年代のいわゆるハリウッド映画というものに夢を見させてもらったんですよ。『スター・ウォーズ』であったり、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』であったり、『インディ・ジョーンズ』であったりとか、そういう作品に夢を貰って生きてきました。
先程中村監督から話があったように、シリアスな部分に何故笑いを入れるのかって話もあったんですが、泣きと笑いって紙一重な時ってあると思うんですよ。例えばお葬式のときに、お坊さんがお経を読んでいて、後ろでずーっと正座してると足が痺れるじゃないですか。
お焼香の番が来て立とうと思ったら、足が痺れて立てなくて、お坊さんの頭を、がっ、て掴んでしまった話とかって、やっぱり笑っちゃうんですよね。うちの母親もお葬式のときに、「みんなで集合写真を撮ろう」って言った時に癖で「はい笑って」って言っちゃったんですよ、お葬式なのに。やっぱりそういう、悲しみと笑いって紙一重だなってって言うところが僕の中では好きなので、そういう演出を入れましたね。
 
Q:この題材を選んだきっかけについて
 
照屋監督:僕は今年で48なんですけれども、“洗骨”っていう風習が琉球王国全土、何なら東南アジアのほとんどで行われていたっていうことを知りませんでした。
5年前に沖縄の粟国島というところでドタバタコメディーを撮る予定で、ロケハンをしていたときに、「”洗骨”が一部でまだ行われているんです」っていう話を聞いて、「”洗骨”ってなんですか?」「沖縄は昔、人を火葬せずにそのまま棺桶に入れて、ミイラ化してから数年経って朽ちたら、また棺桶から出して、一族で洗っていくんだよ」って話を聞いたとき、それが衝撃で、そこから興味を持って調べて、今まで作った脚本捨てて、一から”洗骨”について調べて、作り始めたんです。
まずびっくりしたのが、それは法律に触れないのか、とか、人を燃やさずにミイラ化して置いてっていうことでした。小さな島って火葬場がない島、あるじゃないですか。そういう島は法律的に”洗骨”をやっていいっていうことも驚きましたし。粟国島であったり、与那国島、そこでも一部で”洗骨”をやってるって話を聞きました。想像したら怖くないですか。ミイラにしてまた棺桶を開けるなんて。自分の肉親だったり、親類の変わり果てた姿を見るなんて。でも話を聞くと、本当の心のさよならをする日というか、2回悲しみがあって、1回目は亡くなった悲しみですけれども、「改めて、姿が変わったときに本当に居なくなったんだっていう悲しみを、頭を撫でるように、肩をさするように洗っていく」っていう話をきいて、記録動画も見せてもらったんですけど、怖くないんですよ。祖先に対する、愛しかないんですよ。それを見たときに絶対に映画にしようって思いました。
最後に”洗骨”っていうものはどういう風にやるのかっていうのだけを撮ると、ドキュメント映画には絶対勝てないと思ったので、じゃあ、色を付けるとしたらを考えて、25年間お笑いという世界で僕はやって来てますので、お笑いっていうものを足すことで僕のオリジナリティが出ると思って、こういう作品ができたと思っています。
 
矢田部SP:ありがとうございます。先程中村監督が演出を、脚本が素晴らしいという風に仰いましたが、今の経緯を経て、脚本ができたときに照屋監督としては、かなりいけるぞとその時点で思われたのか、いやこれは撮ってみないとわからんぞと思われたのか、いかがでしたでしょうか。
 
照屋監督:やっぱり脚本を書いてるときが僕は映画作りの中で苦しくて、0から1を出すときの苦しみがたまらないんですね。大体今まで撮ってきた短編も含めて、全部脚本は最初は面白くないんですよね。面白くないんですけれども、それでも悩んで悩んで、役者一人一人にやっと血が通い出して、本当に人間として存在していくと、どういう風なことを言わそうかなっていうよりも、役者同士が勝手に喋りだすので、それを僕が、その喋りを記録する人間として、ただタイプしているだけみたいになってきたら、大体自分の中で勝ちというか、これは面白くなるなっていうか。自分で書いてるくせに泣くんですよ、「お前そんなこと言うなよ」って言いながら。新幹線の横の人がびっくりするんですから(笑)。自分が本当に考えずに、役者同士がカタカタ打ち出したら、僕の中では面白くなるって確信にはなりますね。
 
中村監督:それ、出来ない人の方が多いですからね。プロでも少ないですよ。僕には出来ないですよ。そうなって欲しいんだけど、喋りださないよ。うん。

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