2020.11.04 [イベントレポート]
スーパー戦隊シリーズ45年の歩み、転換点は「やけくそで作った」!? 『ジェットマン』
スーパー戦隊の歩み
©2020 TIFF


第33回東京国際映画祭で11月4日、「ジャパニーズ・アニメーション」部門のシンポジウム「スーパー戦隊シリーズの歩み」が開催された。75年の第1作「秘密戦隊ゴレンジャー」のアカレンジャー(海城剛)役の誠 直也氏をはじめ、91年「鳥人戦隊ジェットマン」以降22作品で脚本を手掛けた荒川稔久氏、35年にわたりシリーズに携わっている渡辺勝也監督、米国版「パワーレンジャー」にスタントマンとして参加し製作総指揮を務めるまでになった坂本浩一監督、東映の白倉伸一郎プロデューサーが出席した。

誠氏に対して4人がリスペクトを語った。「分かりやすいストーリーと、漫画で描きやすいデザインに魅かれた。立ち回りの時の『トイヤッ』という掛け声も印象的だった」(渡辺監督)、「子どもが好きなものを何でも詰め込むおう盛なサービス精神で、5人が強く見えた」(白倉氏)、「ゴレンジャーごっこをやってマネしていた。シンプルな色分けと特徴のある動きのインパクトが大きかった」(坂本監督)とそれぞれの思い出を語り懐かしんだ。

荒川氏は「ジェットマン」を担当する際、「ゴレンジャーを書かれた上原正三さんと同じように書けば通るだろうと思って、30本くらい書いたけれど通らなかった。面白いと思う変化球を出してみろと言われ、現場を見たら頭と体を使って頑張っていることを思い知らされた」という。同作から現場に参加した白倉氏も、「ダイナマン組では、バイオマン的にはなど現場では“戦隊歴”で語られるので、全く話が通じず長期シリーズは大変だと思った」と苦笑交じりに振り返った。

白倉氏はさらに「実はその前に、シリーズ存続の危機があったんです」と踏み込んだ発言。90年「地球戦隊ファイブマン」の視聴率が低迷し、関連のおもちゃも売れ行きが芳しくなかったためで、「やけくそで作ったのがジェットマンだった」と告白。荒川氏も、「やけくそのおかげで僕も入れた」と笑った。

そして、92年「恐竜戦隊ジュウレンジャー」が米国で「パワーレンジャー」として大ヒットし、白倉氏は「グローバルな展開になる神風が吹いたからこそ、今まで存続できたというところもある。大きな転換点に居合わせたのは貴重な経験」と感慨深げ。その話を初めて聞いたという誠は、「よく乗り越えたね。盛り返せていなかったら、今日もなかった。スタッフやメンバーが5年、10年後にも集まれるように頑張って」と感心しつつエールを送った。

「ジュウレンジャー」で監督に昇任し、放送中の第44作「魔進戦隊キラメイジャー」も手掛ける渡辺監督は、戦隊シリーズの魅力について「悪の組織があって怪人をチームワークでやっつける。怪人が巨大化するとロボットでやっつけるというパターン。大きいところは変わっていない」と強調。白倉氏も、「戦隊は日本の誇るべき文化。1作1作、完成度を高める努力をして、心に残り栄養となるシリーズに育っていければ」とさらなる意欲を見せた。

第33回東京国際映画祭は、11月9日まで開催。
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